旅は比叡山で終わる


比叡山延暦寺

“日本仏教の母なる山”とたとえられる比叡山。

延暦寺東塔を後にしたぼくは、山道を歩き西塔へ向かった。
歩いても、20分はかからない。

その途中、巨大な杉木立が目に飛び込んできた。
幹の中で人が暮らせそうなくらいの太さに、目を見張った。

比叡山にはモミやブナ、杉などが広く自生しているが、
山全体が仏教の霊域であるため、無益な殺生(せっしょう)
は禁止されてきた。

だから自然は人間に邪魔されず、こうした木々を育むことが
できたのである。

なんと、日本の植物種の25%にあたる
1500種がこの山に生きている。

そして生い茂った緑を頼りに鳥が集まり、
ますます森はにぎやかになる。

比叡山は動植物たちにとっても母なる山、やさしい山なのだ。

山は1930年、「比叡山鳥類繁殖地」として天然記念物に指定された。

比叡山延暦寺 東山連峰

東塔はすっかり観光スポットと化しているが、
西塔・横川地域はぼくたち一般人には到底
及ばない世界を、今なお守り続けている。

西塔の入り口にあたるのが、浄土院である。

ここは、最澄の廟であり、比叡山で最も清浄な地とされる場所だ。
廟内には、12年間山から下りずに修行する僧がいて、
修行の一環として最澄への食事の提供や清掃を行う。

境内は掃き清められていて、ごみひとつ落ちていない。
なにより深い、深い、静寂の空気に包まれている。

ぼくはこの場所に来たとたん、背筋のピンと張る音が聞こえた。

比叡山延暦寺

苔の美しい常行堂である。
この右には全く同じ造りの法華堂が並んでいて、左右の堂は
1本の渡り廊下で結ばれている。

比叡山延暦寺

昔、弁慶が渡り廊下を天秤棒に見立てて担ぐしぐさをしてみせた
ことから、2つの堂を合わせて「担(にな)い堂」と呼ばれる。

弁慶はもとは延暦寺の僧兵だったから、もっともらしい話である。
(すぐに追い出されたのだが…)

ぼくも弁慶を真似て、担いでみた。
廊下はちょうど成人男性が手を上にあげて届くくらいの高さである。

比叡山延暦寺

ちなみにちょうど廊下の中央から右側(東)が滋賀県、左側(西)が京都市だ。

比叡山延暦寺

西塔からさらに北へ約4km。

横川(よかわ)へやってきた。(さすがにバス利用。)
修行の場として名僧を輩出した地である。

横川中堂はこの地域の中心的な建物である。
信長の焼き討ちや落雷でこれまで2度焼失し、
現在あるのは1971年に再建されたものだ。

清水寺と同じ工法で建てられているが、
こちらは鉄筋コンクリート製である。

今は中堂の朱色と緑のコントラストが綺麗だが、
晩秋になると、さらに印象的な風景に変化する。

あたりの緑はほとんどカエデの木である。
だからあとひと月もすれば、真っ赤な紅葉と堂の
朱色が一体となってさらに美しくなるはずだ。

だが、そこまでぼくは取材しない。
あとはあなたが自分の目で確かめて欲しい。

なぜなら、今回で風水旅日記を終了するからである。

2006年の11月に旅日記は始まり、もう1年が経った。
風水ゆかりの地をすべて網羅したわけではないのだが
ちょうど区切りがいいので終わることにした。

「私も風水の旅に出てみたい!」
という人のために、すでに過去の旅日記に
グーグルマップをリンクさせてある。
これなら道にも迷わないぞ!

おでかけの時は、ひと声かけて、カギかけて、
ついでに旅日記も印刷かけていただければ
もう完璧である。

あなたの旅の一助になればと思う。

<おわりに>

ぼくの悪文に最後まで付き合っていただいた
読者のみなさまに、感謝したい。
心からありがとう。

また末筆ながら、当企画をずっと支えてくださった
京都風水のスタッフのみなさま一人ひとりにも、
厚くお礼を申し上げる。

写真と文 / 高橋友和

■比叡山延暦寺(東塔)・・・
京阪電車坂本駅から徒歩とケーブル 約50分



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