比叡山は霧の中


比叡山延暦寺 東山連峰

標高848mの比叡山は京都市左京区と滋賀県大津市にまたがる。
日本屈指の聖地とも称される山はこの日、霧の中にあった。

比叡山延暦寺 東山連峰

「蒲団着て 寝たる姿や 東山」と軽妙に詠われた東山連峰だが、
やはりこの山だけ他にはない“貫禄”がある。
しかも、濃い霧がさらに霊峰としての雰囲気を感じさせてくれる。

「うーむ、まさしく聖地」。

ぼくはせっかくの琵琶湖の景色が霧で台無しだったことなど
さっさと忘れ、むしろ山を包む幽玄な世界に感動した。

比叡山延暦寺

1994年、ユネスコの世界遺産に登録された延暦寺は
天台宗の総本山。比叡山全域を境内に持つ広大な寺である。

寺は大きく3つに分かれていて、それぞれ東塔(とうどう)、
西塔(さいとう)、横川(よかわ)という。
つまり「延暦寺」は3つの寺域が合体して成り立った名称で、
単体では存在しないのだ。

まず、東塔の根本中堂を訪れた。
寺の総本堂にあたり、788年に最澄(さいちょう)が最初に寺を興した場所である。

比叡山延暦寺

――「“焼き加減”はいかが致しましょうか?」

「普通でいいと思いますよ。
あまりハデすぎるのもちょっと・・・」――

“織田信長とくれば、延暦寺の焼き討ち”
が時代劇では定番だ。

NHKの大河ドラマをはじめ、決まって堂塔が燃え落ちる
場面をひとつの見せ場として放送するため、事前に番組の
スタッフと寺で上のようなやりとりが交わされるのだという。

特にここ数年、頻繁に“焼かれる”ことが多くなったんですよ、と
堂内で説明役を務めるお坊さんはハハハと笑っておっしゃった。

比叡山延暦寺

織田信長による焼き討ち事件後、根本中堂は1642年になって
3代将軍 徳川家光によって再興された。

その家光に再建を促したのが“家康の右腕”だった僧 天海(てんかい)というのは、実に興味深い。

風水学に通じる人物で、江戸の都市計画は風水思想をもとに
彼が作り上げたのだ。

上野の「寛永寺」は、その最たる例である。
江戸城の北東に配し、鬼門封じとした。
寺の山号は「東叡山」。つまりは“東の比叡山”だ。

平安京が培った風水都市のノウハウを絶やすまいと、
江戸に再現したのである。

天海はまた、歴史に突然現れたナゾだらけの人物でもある。
一説には、本能寺の変で信長を討ち取ったあと、殺されたと
される明智光秀が天海と名を変えて生き延びたのではないかと、
まことしやかに伝えられる。

天海(光秀?)のナゾを解くカギは果たして
比叡山にあるのだろうか。

都の鬼門にまつわる面白い話だが、
あいにくこちらの真実も霧の中である。

比叡山延暦寺

写真と文 / 高橋友和

■比叡山延暦寺(東塔)・・・
京阪電車坂本駅から徒歩とケーブル 約50分



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