夏、大文字山にて


大文字山

京都と滋賀の間を南北に横たわる東山三十六峰。そのほぼ中央、如意ヶ岳(474m)の西側の支峰が、大文字山(466m)である。
毎年8月16日の夜おこなわれる、「大文字の送り火」で知られる山だ。

左大文字、妙法、鳥居形、船形と合わせて「五山の送り火」と呼び、京都四大行事のひとつに数えられる。
送り火とは、先祖の霊を無事にあの世へ帰すために夜空を灯すお盆の風物詩である。仏教の行事だが、どうやら中国の風水も関係しているらしい。

たとえば平安京の東に位置する大文字山は、四神相応の思想に照らすと、葬送地として最適な場所なのだそうだ。風水と仏教の精霊送りとが合体して、「山の上で火を焚く」という京都独特の儀式に変化したのだという。ただ、いつ誰が始めたのか、はっきりわかっていない。

大文字山

気温33度。ある暑い日のことである。

ぼくは「大文字の送り火」の点火場所、火床(ひどこ)を目指すため、山のふもとにある銀閣寺へ向かった。この寺に入る門の直前を左に折れると、境内の裏を回り込む登山道へと続くのだ。

つづら折りになった細い山道をたどると、10分もしないうちに体内が沸騰し、喉も気道の内側がへばりつくくらいカラカラに乾いてきた。

大文字山

山を登り始めて、もう30分余りが経つ。 そろそろ到着してもいいはず、と淡い期待をしながら上って いたら、先が見えない石段に出くわした。 さすがにこのとき、ぼくはフラッと意識が飛びそうになった。


大文字山

最後の一段を踏みしめ、汗だくになった顔を上げると、ぼくは快哉を叫んだ。

大文字山

「大」の字は一画目が80m、二画目160m、三画目が120m。
そして3本の線がすべて交わる点、金尾(かなわ)でしばらくへたりこんだまま遠くを眺めた。

耳を澄ませば、セミの鳴き声、小鳥のさえずり、
上を通り過ぎる風の音。

「小さいなぁ、自分って」。

眼下に広がる古都の街並みと自分の心のスケールを重ね合わせてみる。でも、悩んだり、落ち込んだり、怒ったりなんていうものは誰にでもあるものなんだ、ぼくだけではないんだと思うと、気持ちがせいせいした。

そして、そうした心境に至ったことに自分自身が驚いた。

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ

   生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ

毎年、先祖の霊を見送る大文字山。
ここでぼくの心を満たしたものは、生きていることへの感謝である。

写真と文 / 高橋友和

●文中の詩 / 「生きる」(谷川俊太郎、「うつむく青年」
1971年)より一部抜粋

■大文字山・・・
市バス「銀閣寺道」下車 火床までの登山は約40分



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