東寺と密教と空海と

東寺

東寺は、空海を開祖とする東寺真言宗の総本山である。もともとは796年、羅城門の東北に西寺と一対になるように建立された官寺だ。
西寺は早々と歴史から姿を消すことになるが、平安時代初期の東寺・西寺は都の繁栄と国家の鎮護を祈る、重要な国営施設だったのである。

現在の寺の堂塔は再建されたものがほとんどだが、その大きさと位置は造営当時からまったく同じである。平安時代から変わらない風景がこの場所にはある。
空海は823年、嵯峨(さが)天皇から東寺を賜る。この寺を教王護国寺(きょうおうごこくじ)とも呼ぶようになるのはこの時からである。
彼がやって来た頃、金堂と僧房が完成していたくらいだったという。そこで、唐で学んだ密教を東寺で具現化しようと講堂や五重塔などの造営や、仏像の製作に心血を注ぐ。
しかしすべての堂塔が完成した東寺を見ることなく、空海は835年、62歳でこの世を去る。彼が「弘法大師」の名で呼ばれるのは没後80年余りを経てからで、本人は知るよしもない。

東寺

密教とは秘密仏教の略だ。インドで誕生した仏教の一派で、神秘性を重視する。旧来仏教よりもさらに儀式や象徴にこだわり、修行に用いる法具や仏画はビジュアル的に凝ったものが多い。
空海が804年、最澄より一足先に留学先の唐から持ち帰ったのが日本密教のはじまりである。

東寺 金堂

東寺 金堂

東寺の南端中央、南大門をくぐると見えるのが金堂(国宝)である。寺の中で最も早くに創建されたが、1486年の土一揆(つちいっき)で焼失してしまった。現在の堂は、豊臣秀頼が1603年に再建したものだが、焼失してなんと117年後のことである。

造りは桃山時代特有の豪放な様式だが、細部に平安時代の唐様・和様の建築様式を残すことで、違和感なく全体を再現している。

本堂の中に入ってみる。中央には旧仏教の本尊である薬師如来像、両脇には日光・月光菩薩像が安置されている。
薬師如来の台座下には高さ1mにも満たない十二神将がとり囲む。これらを除き、堂内には大きな仏像が中央と左右に3体、たたずむのみある。堂内の空間をずいぶん持て余しているように思えた。

東寺 講堂

講堂である。
講堂も同じく1486年に焼失した。しかし5年後の1491年に再建されていることからも、その施設の重要性がうかがえる。
ここには空海がプロデュースした、立体曼荼羅(りったいまんだら)がある。

講堂は、曼荼羅(まんだら)図の中に閉じ込めてあった密教浄土の世界を、3次元で表現したものだ。密教の本尊である大日如来を中央に、21体の仏像が所狭しと安置されている。
空海の最も伝えたかったことが、この空間に凝縮されている。
講堂の造営は空海の構想によるものだ。曼荼羅を構成する仏像21体は、空海が製作現場で自ら指揮を執ったといわれている。
(当時の仏像が現存するのは15体である。6体は後世の作。)

空海没後の839年に開眼供養が執り行われたが、その時の人々の驚嘆する表情と息を呑む姿が目に浮かぶ。

東寺 五重塔

現代のインド・中国に、もはや密教はない。
約1200年を経て日本には真言宗・天台宗が諸派に分かれ、さらに密教が根づいたが、世界では日本をはじめ、ネパール、ブータン、チベットなどに残るにすぎない。

写真と文 / 高橋友和

■東寺・・・
近鉄京都線 東寺駅下車 徒歩約3分



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