船岡山のキオク 前編

 

船岡山

市営地下鉄 北大路駅を降り、北大路バスターミナルからバスに乗って約10分。ここは京都市北区 紫野北舟岡町。あたりの住宅群に埋もれ、窮屈そうにしている小高い丘がある。

船岡山。

標高112mに過ぎないこの山が、都の北を守る「玄武」である。
今から1200余年前、平安京を建設するにあたり、都としてふさわしい場所を選ぶことになった。
そこで風水をもとに占ったところ、船岡山が「大地の生気がほとばしる、玄武としてふさわしい山」との結果が出たという。

船岡山上空から都の南部を眺めた平安京復原イラスト

船岡山を基点として真南に大極殿、朱雀大路、そして羅城門を一直線上に配置し、794年、東西約4.5km南北5.2kmに及ぶ新都・平安京は完成する。(上の平安京復原イラストは、船岡山上空から都の南部を眺めた様子/JR二条駅東口前陶板レリーフより)

船岡山 玄武大神を祀る船岡妙見社

山の中腹には、船岡山の地の神として玄武大神を祀る「船岡妙見社」のほこらが南を向いて鎮座する。
ここに諸厄消除、万病平癒、家宅守護の御神徳があるが、ほこらの2、3m手前から立ち入り禁止の柵で囲われているため、ぼくたちは普段参拝できない。

この山は平安京が完成した後も、都市生活を送る貴族たちにとって、自然に触れることのできる貴重なフィールドだった。
たとえば平安時代の宮中行事のひとつに、「子(ね)の日遊び」がある。新年最初の子(ね)の日に、山野に出て若菜を摘み、その場で宴を催し、和歌を詠んで楽しむ遊びである。

三十六歌仙のひとり、清原元輔(きよはらのもとすけ)は、こんな歌を残している。「船岡の 若菜摘みつつ君がため 子の日の松の 千代をおくらむ」ちなみに清原元輔の娘は、清少納言。彼女も『枕草子』の中で、「丘は船岡」と綴っている。わざわざ文字に残すくらいだから相当深い思い入れがあるに違いない。

親子二代で「船岡」を取り上げたのは偶然にせよ、面白い。
しかしこの親子以外にも多くの貴族が船岡山を題材に和歌を詠んでおり、「京の風雅」を発信する上で欠かせない場所なのである。
船岡山は昭和43年、全山域を「国の史跡」に指定され、平成7年には京都府制定「京都自然二百選」の歴史環境部門 第1号に選定された。

写真と文 / 高橋友和

■船岡山・・・
北大路バスターミナルより、バスで約10分。
「船岡山」停 下車すぐ。



拡大地図を表示