スマイリー広隆寺 (後編)

前回に引き続いて、京都市太秦(うずまさ)にある広隆寺をご紹介します。
安置されている仏像の数々。圧倒されると同時に仏教を連綿と守り抜いてきた人々に思いを馳せました。

広隆寺

広隆寺 桜

3月某日。天気は快晴、絶好の旅日記日和だ。
まだ春の観光シーズン前ということもあり、境内は静寂に包まれている。

広隆寺 講堂

境内を石畳に沿ってまっすぐ歩くと、右手に講堂(重要文化財)がある。往時は、柱が朱塗りだったことから“赤堂”とも呼ばれていた。永万元年(1165)に再建されたが、それでも京都で最古の建造物だ。
中央に国宝の阿弥陀如来坐像、右に地蔵菩薩坐像、左に虚空菩薩坐像が鎮座する。

広隆寺 上宮王院太子殿

講堂からまだ奥へとまっすぐ歩くと、大きな屋根が見えてくる。
享保15年(1730)に建立された、上宮王院(じょうぐうおういん)太子殿。本尊として、33歳頃とされる聖徳太子の像が安置されている。
この像には、代々の天皇が太子の徳にあやかる意味で、即位の礼で
着用した束帯を実際に着せているという。聖徳太子は歴代の天皇家からも尊崇の念を集めているのである。

(束帯といえば、タレントの陣内智則が藤原紀香との結婚式で着ていた格好を思い出してもらえればいいだろう。ただし天皇が即位する時の束帯は、さらに立派なものになる。)

聖徳太子像は通常、扉が閉じられていて直接その姿を見ることができないが、毎年11月22日の聖徳太子の誕生日にだけ公開される。

広隆寺 霊宝殿

上宮王院太子殿の奥、霊宝殿まで来た。建物は鉄筋コンクリート製で空調設備は万全。照明は仏像を傷めないように極限まで光量を絞っている。平屋建てで、入場者は時計回りにフロアの壁際に展示された仏像を見て回る。

美術史上の区分でいう天平時代から鎌倉時代まで、各時代の仏像をひとつの寺が所蔵しているのは、たいへん稀だ。仏像の数は、数えてみたら53体あった。
特筆すべきは“アルカイックスマイル”で有名な国宝、 「弥勒菩薩半跏思惟像」(みろくぼさつはんかしゆいぞう・飛鳥時代)

(残念なことに館内は撮影禁止なのだ。ここではお見せできないので、想像力をたくましくしていただきたい!)

キレ長の眼、シュッとした眉、スーッと通った鼻すじ。人間の顔立ちでありながらも、神秘的な顔立ちなのだ。右手の薬指を頬にそっとやり、もの思いにふける姿に思わず男性でさえウットリしてしまう。なんだか「両性具有な顔立ち」なのである。

この菩薩像の前にだけ、たたみ一畳を敷いた長いすが2脚置かれており、正座したり腰掛けたりして、いつまでも微笑を堪能することができる。館内を見学するほとんどの人は、この地点でしばらく足を止めてしまうのだ。
飛鳥時代以降、この微笑に何百万、いや何千万、いやいや何億もの人々が魅了されたことだろう。そしてぼくもまた、しかりである。

『日本書記』にある、聖徳太子が授かった「尊い仏像」とは、この菩薩像のことである。
専門家の研究によると、菩薩像は当時の朝鮮半島にあった新羅(しらぎ)という国から聖徳太子に贈られた、という説が有力らしい。

当時の日本社会を、仏教を中心とした枠組みに変えようとした聖徳太子。仏教を普及させるため、太子を信頼し、仏像を贈ったと考えられる新羅国。今日の広隆寺の隆盛を思うとき、菩薩像を度重なる戦火から守り抜いてきた

人々の聖徳太子への篤い信仰心、そして平安を願う深い祈り。
ぼくは畏敬の念を抱かずにはいられないのである。

広隆寺

写真と文 / 高橋友和

■広隆寺・・・
京福電鉄(嵐電)太秦駅下車 徒歩1分。



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