小説を持って、
門の下で逢いましょう。

みなさんこんにちは。
さて今回は、都の宮城 平安宮(大内裏)についてご紹介します。
しかし歴史の渦に飲み込まれ、今では土に埋もれてしまった平安宮。
そこでぼくが訪れたのは・・・。

ぼくは朱雀門跡を示す石碑から、さらに北へ約3〜4分歩く。
千本丸太町交差点へ着いた。この交差点は、平安宮の中でも国家的儀式や公務などを行う朝堂院の正殿、大極殿(たいごくでん)の東端にあたる。

JR山陰本線二条駅

大極殿の現在の姿だ。歩道に敷き詰められたレンガにぽつりと一言。「大極殿跡」。 このままでは話が終わってしまうので、ぼくは一計を案じた。

平安京の復原イラスト

というわけで、ぼくは平安神宮へ来てみた。
目の前には、応天門(おうてんもん)。平安神宮は平安遷都1100年を記念して造営され、1895年に完成した神社だ。応天門と朝堂院を復元させたのが特徴である。つまり平安神宮に来れば、平安宮の生まれたままの姿が見られるのだ。

ここは平安神宮ではなく、平安宮。
そしてぼくたちは、都の住人だと想像してみよう。

朱雀大路

平安宮の南端中央に位置する朱雀門をくぐると、いよいよ目に見えるのが応天門だ。緑色の釉薬を使った瓦、朱塗りの柱、屋根には「しび」が二尾据えられた。建築様式は「二層楼 碧瓦 本葺き」というのだそうだ。

歴史に名前が刻まれることになったのは、866年の応天門の変。
陰謀によって放火されたのは、まさにこの門である。

現在の応天門は高さ19.3mある。
実は、門は当時の2/3のサイズに縮小されて造られている。本物なら、さらに大きいのだ。

朱雀門

羅城門も朱雀門も、それぞれ大きさこそ違えど、応天門の姿かたちをイメージしてもらえればいいだろう。

平安神宮

お待たせ。
これが大極殿である。 3回の火災に遭い、そのたびに再建されるが、1177年の「安元の大火」以降は手付かず になってしまったのだ。 現在は大極殿を含め、朝堂院の建造物はすべて5/8に縮小されて造営された。
もともと朝堂院には、大極殿の手前に12の堂が左右対称に配置されていて、忠実に再現 するつもりだったらしい。しかし日清戦争が始まり、計画が簡素化されたのだという。

平安神宮 蒼龍楼

朱雀門に限らず、四神相応の名前をつけた建造物が他にもあった。 中央の大極殿の向かって右に位置する場所に、蒼龍楼(そうりゅうろう)がある。 二重閣、碧瓦本葺き、朱塗りの楼閣だ。

平安神宮 白虎楼

向かって左は、西側に面するので白虎楼(びゃっころう)という。 平安宮は、政治の中枢機関だから、方角にちなんで名前をそのままくっつけただけ とは思えない。
つまり、風水を用いて外敵への万全の防御を仕掛けたかったのだろう。 現代では観光スポットとして外せない平安神宮。しかし、当時の風水思想を重要視した 平安人を知る上でも貴重な資料ともなるのだ。

一度歴史から消え去ったものを元の形に復元することは、たいへん困難である。 平安神宮は、国の威信をかけたプロジェクトがあったから創建されたわけで、 ぼくたちの前に平安時代の建造物が現れたのは、奇跡的なことなのだ。
しかし遠い過去を想像することは、誰にでもできる。 たとえば、小説を読んでみてはどうだろう。 芥川龍之介は、『今昔物語集』を題材にして何篇もの小説を残している。 『羅生門』、『芋粥』、『六の宮の姫君』なんて平安時代そのものだ。 読んでほしい。朱雀大路も羅城門も朱雀門も登場するし、なにより人物の心境の 変化が面白い。

小説を片手に、都大路を歩くのもいいかもしれない。

写真と文 / 高橋友和

■平安神宮・・・
地下鉄東西線 東山駅下車 徒歩10分。



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