花も団子も下鴨神社(後編)

みなさん、こんにちは。
みたらし団子の由来は、もうわかりましたよね。
下鴨神社(正式名:賀茂御祖【かものみおや】神社)の近くにはおいしいみたらし団子をいただけるお店があるので、機会をあらためてご紹介したいな、なんて思います。
さて今回は、下鴨神社の後編です。

下鴨神社

ぼくは中門(ちゅうもん)の前に立った。この門から先は言社(ことしゃ)、幣殿(へいでん)、本殿へと続く。この日は、あいにく大勢の参拝客でいっぱいだった。

言社は十二支の守り神を祀る。干支の数は12だが、社は7つで成り立っている。だから7人の神様は「子」と「馬」以外、干支を2つずつ掛け持ちで担当されているのだ。お参りするときはもちろん、自分の干支を守られる神様に願い事をするといい。

幣殿とはお供え物をする場所だ。この奥に国宝の本殿が鎮座するのだが、幣殿は本殿をさえぎるように横長に建てられているため、本殿の姿はスキマを縫うようにしか見えない。ぼくたち一般人の立ち入りは幣殿の前までだ。本殿は近寄ることさえできない神聖な場所なのだ。

下鴨神社

さて下鴨神社を後にしたぼくには、もう1ヵ所訪れたい場所があった。下鴨神社の摂社(せっしゃ) 河合神社である。(摂社というのは本社に縁故のある祭神を祀る神社のこと)下鴨神社へ向かう参道の西側に位置するが、参道沿いのにぎわいをよそに、この社はひっそりとたたずんでいる。

河合神社は安産、育児、縁結び、学業、延命長寿などのご利益があるほか、日本サッカー協会のシンボル ヤタガラスの神を祀る。
しかしぼくの興味は「彼」のことをもっと知ることだ。
賀茂神社(上賀茂社と下鴨社)は以前紹介したとおり、賀茂氏が代々奉仕してきた。ここ河合神社も一族の流れを受け継いでいる。

「ゆく河の流れは絶えずして しかも もとの水にあらず」

ではじまる『方丈記』を記したのは、鴨長明(かものちょうめい 1155〜1216)。読んで字のごとく、「彼」も賀茂氏なのだ。

平安末期、鴨長明は河合神社の神職の次男坊として生まれた。幼い頃から歌道の達人で、宮中に召しかかえられるなどしたが河合神社の神職(=出世する)に就けなかったことに悲観し、出家した。その後の隠遁生活から「人生のはかなさ」を悟り、『方丈記』が生まれたのである。

下鴨神社

河合神社には現在、鴨長明が暮らした「方丈の庵」が復元展示されている。奥行き間口ともに一丈(約3m)四方であるため、「方丈」と呼ばれる。この中で書いたから『方丈記』。

方丈はすべて組み立て式。だから壁も屋根もうすっぺらい。雨風がなんとかしのげる程度のものだ。広さは約5畳半あるという。
この一式を持って鴨長明は50〜58歳まで転々としたのだ。建物を移動させることを前提にしているため、方丈の土台として石を置き、その上に柱を立たせる様式は下鴨神社の本殿にヒントを得たといわれている。神職になれなかった彼が神社の建築様式を取り入れるなんて、悲しいくらいの皮肉である。

下鴨神社

今回の旅を通じてぼくは、糺の森(ただすのもり)が育む自然にいとおしさを感じた。そして下鴨神社には、時を越えて神社を守り崇敬する人々のチカラを感じた。

下鴨神社は自然と人のエネルギーがうまくかみ合った風水スポットの好例だと思う。

写真と文 / 高橋友和

■下鴨神社・・・
京阪本線出町柳駅から徒歩10分。



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